2013年10月14日月曜日

第29回NIJIの会 報告書


外国人財活用セミナー 

信頼してまかせる外国人社員活用法

日時:平成25911日(水)   1800分~1840
場所:ACU中研修室
講師:央幸設備工業株式会社 会長 尾北 紀靖氏
参加人数:企業23人、留学生1人、関係者6


講演する尾北会長







セミナーの様子
交流会会場



交流会の様子



講師経歴
尾北 紀靖(おきた のりやす)
昭和15322日生まれ 北海道美唄市出身 73歳 

北海道美唄工業高校を昭和35年に卒業する
札幌市で立川工業㈱北海道支店に入社(業種は建設業 建築管設備工事業)
技術職員として昭和368月から釧路支店に勤務
釧路市を拠点として帯広、北見、網走、根室地区の建設現場にて工事の施工管理に6年間従時する
昭和424月に北海道支店札幌に帰り工務課長に着任
昭和432月に経営悪化した関連子会社に出向き再建にあたる
昭和464月に再建終了。央幸設備工業㈱として社長に就く
以降、昭和63年までに経営悪化した6社の再建に取り組む
6社全社を再建、終了させることに成功
平成18月に情報サービスと新エネ・省エネ・環境リサイクル事業目的に㈱アルファビジョンを設立.社長に就く
平成16年に霊芝の培養・栽培を目的で央幸設備工業㈱にバイオ事業部を発足
平成224月にバイオ事業部を独立させ㈱北海道霊芝を設立、社長に就く

留学生採用実績
昭和47年 韓国留学生(男性)採用 工事部にて管工事施工
昭和56年     〃   独立自営

平成12年 中国留学生(女性)採用 苫小牧営業所に勤務
平成17年     〃   独立自営 日本人男性と結婚

平成15年 ロシア留学生(女性) 2人採用 総務部に勤務
平成17年    〃  うち1人の女性 オーストラリアに留学
平成18年    〃  もう1人の女性 結婚退社、札幌の男性と結婚

平成24年 アフリカ留学生(男性)採用 総務部に勤務

【セミナー内容】

<企業紹介>
4カ国の留学生とかかわって、社員として雇用し、一緒に働いてきた。ここにいるみなさんも同じような経験をされている方もいるでしょうけれども、私なりにどういう取り組み方をしてきたのか、どういうことで信頼関係を築いてきたか、その辺のことを非常にオープンに、リラックスしたかたちでみなさまにお伝えします。経歴等につきましては紹介いただいたわけですが、当社は建設業、ビルの空調や冷暖房、自動防災設備等を扱っている会社です。私のサラリーマン当時から含めると55年くらい。私は今年で73歳です。みなさんのお父さんなり、お爺さんの年齢ですが、今まで一度も病気をしたことがなく、元気に仕事ができることはありがたいことだと思っています。

<留学生採用の動機>
外国人留学生を受け入れるきっかけ、動機は、私は非常に好奇心が強い。海外特にアジアのいろんな所を知りたかった。40年くらい前、海外に出るということは、危険でもあり、あまり理解されていない時でした。帰れないかもしれないという声が大きかった。その中で最初に行ったのがフィリピンでした。フィリピン、韓国、中国、ロシア、オーストラリア、台湾、ベトナム等を回って、現地の人々に触れながら、こういう人たちと仕事が一緒にできると面白いなと考えた。

<韓国の留学生>
最初に留学生を受け入れたのは、韓国の学生でした。学生といっても正式な留学生ではなかった。勉強したいという思いで来ていても学校へ入るのは難しい。これは40年くらい前ですから。日本語の勉強をしながら学校へ行き、そして卒業後、当社で一緒に仕事をしながらやってきた。その当時は、お父さんも息子さんのことが心配で、韓国から駆けつけ、お父さんも一緒に働いた。それが外国の人を受け入れた最初です。

やはり、最初は言葉の壁があった。私は日本語以外はほとんど駄目なので、学生の方から日本語を話してもらわなければならない。日本語も、そして仕事も覚えるという熱心な態度に、当初思っていた以上に熱い気持ちで仕事にチャレンジしてもらったことで感銘を受けた。

<中国の留学生>
次に受け入れたのが中国の女性の方でした。中国へ私が行った時に、大連、北京、それから上海、沿岸地区の経済発展地域の見学をしながら回っていた時、北京市役所で通訳をしていただいた女性、王エイヘイという方でした。すでに社会人でしたが、どうしても日本に行きたい、特に北海道へ行って勉強したいという。札幌に来て2年ほど、勉強をしながら当社で少し仕事をしていた。縁があって北大の大学院へ行くことになり、日本で保証人が必要になった。私が保証人になるからには、両親、家族にあってヒットしなければ、受け入れるわけにはいかないと言った。中国のお父さんに聞いたら、日本の人を自宅に入れて会うわけにはいかない。会っていただけないのであれば、王さんを引き受けることはできない。最終的には娘が親を説得して、弟やいとこ10名くらい集まって親の家で会った。そこからすごく家族みたいになった。その信頼関係から王さんを引き受けて、北大大学院を卒業し、それから当社にまた戻った。

中小企業家同友会という会、すでにご存じの方がいると思いますが、その会の中で同友会大学をやっていた。王さんはそこで聴講生として全課程を終わらせて、卒業生として体験を発表した。それから当社に勤めた。別会社で苫小牧営業所があったが、赤字を繰り返していた。スタートの時はスーパー銭湯だったが、今は一般の銭湯で、苫小牧で一番大きな銭湯です。王さんはそこの店長としてスタートして、6カ月後素晴らしい仕事ぶりから、そこの社長になっていただいた。非常に勤勉で、信頼でき、仕事をまかせられる。そしてそれに応えてくれる。やっぱり信頼関係しかない。そこで驚くようなことが起きた。

私が引き受けていた倒産しかけた会社、赤字赤字で3,4年続いていた銭湯でしたが、王さんを社長として、金銭管理から全部まかせた。1年後、今まで日本人の経営者が赤字を出していたのと同じくらいの金額を黒字に変えた。それから3年間ずっと黒字を続けた。その後自分の事業をやりたいということになった。その時1500万円の利益をあげていた。逆に王さんが係る前までは同じくらいの赤字を出していた。それをきちっと挽回した。それは何故かというと、任せたから。任せるということはわかりますか、と聞いたら、完全に責任を持たせること。わたしは責任を持ってやりたい。北京では市役所に勤めていたが、当社は営利を求める会社だから、北京で市役所に勤めていたときと同じやり方ではだめですと、とことん話し合った。

やはり納得いかないこともあった。仕事のやり方もなかなかかみ合わない。難しいところはあった。それでもやっているうちに日本のやり方を身につけ、すごく努力をして、私どもの会社の者と結婚し、今は完全に独立して、旦那さんと観光関係の事業をやっている。王さんは賢く、先を読みながら仕事をする女性でした。やろう、やりたいという人間はどんどん独立した。いつまでも会社に使われているのではなく、独立してどんどん仕事をさせる。その辺は外国の留学生についても同じ。信頼関係ができればどんどん任せる。そして自立できる人は自立させる。会社の都合に合わせて会社のために働くのではなく、自分のために働く。それが中国の王さんのやり方です。

<ロシアの留学生>
次に引き受けたのが、ロシアの学生二人です。経済的に困窮していたので、当社でアルバイトに雇うことになった。卒業後継続して働くことになった。

ひとりはノヴォシビルスク、もう一人はウラジオストク出身で、二人とも女性でした。正直に言って当社の社員の2倍は仕事ができる。一旦仕事をする喜びを覚えて、仕事ができるようになると、どんどん意欲的に仕事にチャレンジした。経理事務もとても正確に処理し、しかもそれを全部日本語でこなした。漢字も書けるし、パワーポイントもあっと言う間に覚えてしまう。一人はナターシャ、ロシアには多い名前ですが、ウラジオストクの女性です。札幌大学を出てから北大の大学院に行きたいと言っていたが、手続きの関係で行けなかった。

もう一人はアンナ。ノヴォシビルスクは札幌の姉妹都市です。ノヴォシビルスクに文化会館を作るために募金活動をしていた。2500万ほどかんぱを募って資金を集めた。為替変動などもあって目標にしていた2500万ができなかった。残金は当局が負担して、それでも立派な文化会館ができた。まるで迎賓館のようだった。そこに通訳で来てくれた女性が、当時まだ大学生だったアンナだ。通訳で5日間ずっと専属についてくれた。最終的に、そこでごはんを炊いておむすびの握り方を教えた。日本には一度も行ったことがなかったが、アンナは日本語が達者だった。ロシアの大学で日本語をマスターしていた。私たちの出会いから日本にさらに関心を持って、日本に行きたいと言い出した。でもそう簡単ではない。アンナの母親は裕福ではないから、日本に行って勉強するだけのお金もない。

ロシアの日本語弁論大会で優勝し、そのご褒美で日本へ行くことになった。日本へ来た時に突然会社へ電話がかかってきた。それから札幌で1週間ほど滞在し、是非札幌の大学へ行きたいということになり、教育大学へ研修生のような形で入り、2年間そこで学んだ。一旦ロシアへ帰った。札幌滞在中は家族同然の付き合いだったから、本当に信頼関係ができた。ロシアへ帰ったものの、又札幌へ来たいということで、札幌の国際交流センターで仕事をみつけた。それから当社へ来て仕事を手伝ってもらった。

<アフリカの留学生>
先ほど話した中小企業同友会の中で、国際ビジネス研究会がある。そこで外国人留学生との交流会が去年2月にあった。アフリカのマダガスカルから学生が来ていた。その学生からメールが何度も来た。そのメールには私を採用してくれたら、社長には一生後悔させませんとあった。この文句にはまいってしまった。会社に訪ねてきた。とても熱心。話を聞くと東京の大手会社から内定をもらっていた。でもそこは大きいだけで、そこで働く気はないという。自分の好きなところで働きたい。自分の働くところはここだと思ったと言う。日本の学生と会ってもそういうことを話す学生はいない。採用がきまり、仕事を開始して1年半が過ぎた。

彼には半端でないパワーと能力がある。外注に出すような仕事、例えば、翻訳とか契約書のチェックなど、私にはわからなくて、なんでもイエスと言ってしまうところをチェックしてノーと言ってくれる。それで助かった例がある。外注の金額に換算したら、約3倍働いてくれている。それくらいいい物を持っている。

問題はどうやって引き出すか。会社に入ってから1年間くらい、思う存分好きなようにやりなさいと言っている。アフリカのボランさんは1年くらいたって、今はブレーキがかからなくなって、苦労している。商工会議所のマナー研修などに行って反省している。今までやりすぎたと。最初は持っている能力を発揮させるために、会社の形にはめないことが重要。やってはいけないことばかりを前面に押し出すのはよくない。

<どのように信頼関係を築くか>
いろいろな留学生との出会いがあった。留学生を日本のお父さんという感覚で受け入れた。会社で雇用しているというような関係ではなく、家族的な関係で信頼関係をつくって、お互いに全部をさらけ出せるような関係を築いた。

当社にいた留学生は全員結婚して、故郷へ帰っていない。実の子供、孫以外にお世話しなければならない子供がたくさん増えた。でも、それが働くパワー、原動力になっている。単に仕事をしてもらって、給料を払えばいい、というものではない。これは私なりのやり方です。

チャンスがあれば外国の留学生を受け入れてきた。彼らが日本へ来た後は、日本に対する考え方が変わったと言う。日本で結婚して、家族同然のお付き合いをする。ロシアの女性も結婚して子供ができると、仕事と両立できなくて一旦会社を離れています。でも将来子供が大きくなれば、また会社に戻ってきたいと言っている。

女性社員を雇う時は、約束をする。結婚しても辞めない、子供ができても辞めない、それが入社するときの約束です。結婚して子供が3人できても仕事と両立してやっている。外国人にのびのびと働いてもらうのと女性も同じです。結婚しても子供がいても、すごい戦力であることに違いはない。女性も留学生も会社の要。留学生とは例えが違いますが、自分から相手に近づいていくことが大事。

東京オリンピックの招致活動があった。そのプレゼンの中でほろっときた言葉がおもてなしです。日本人の社員に対しても、留学生に対してもおもてなしです。おもてなしという言葉はすごくいい言葉だと思った。それでオリンピック招致が決まったかどうかは定かでない。いろんな要素があると思う。すごく日本人らしい言葉だと思う。おもてなしというのは相手のことを理解しそれを受け入れることだと思う。仕事をする上で大切にしている3つの言葉がある。目配り、気配り、思いやり、これができたら人間関係でも仕事でもうまくいく。難しいことをどうのこうのではなく、この3つの言葉をいままでの経験から大切にしていきたい。